厭世日記

不思議だったあの、精神科閉鎖病棟についてなんちゃって

昨日もまた早く寝てしまった。

おかげで四時におきてしまい、借りたままの消失!を読んでいます。

今日会社だと気が重いし、ちょっとだけ早く行って仕事するつもりです。

 

なくなったと思ったタバコセットは何故かお風呂にありました。

昨日はらりっていたので、たぶん吸おうと思ったんだろうけどそれも忘れて寝てしまったのか。

こんなんじゃダメですね。

 

毎日仕事で細かい仕事をして、疲れてしまったけど、

月火と休んだのだからあと3日で挽回せねば!

 

12/5

日本で公開うつくしい=インフェルノ

 

朝かららりってて、そのとき電話きちゃったなら仕方ないだろう。

ごめんなさい。

 

今日は動悸がします、過食気味、眠気、緊張で体がトロトロです。

甘く見ていた、一個動いたらもう疲れてしまい、動けない。

特にハッキリらしいですよ。

 

 

 

 

ヤマウチのおばちゃんからの電話

以前にお書いた「ヤマウチのおばちゃん」、久しぶりに電話がかかってきた。

彼女はさみしかったり、なにかあったときに連絡をくれる、今回もなにかあったみたいだった(けど、不明瞭なのでなにがあったのかは聞き取れなかった)

 

入院時からずっと「あなたはかわいいからすぐ彼氏ができる」「これから必ずいいことがある」「笑顔がかわいいね」とずっと、自殺未遂した私に声をかけ続けてくれた。

久しぶりに声聞いて、安心のあまりちょっとだけ泣いて、私を大事に思って頼ってくれる人がいるんだということを再確認しました。

 

 

あのころはずっと一人で全部やってた、今はもうそんな元気がなくて 笑

首を吊ったときはうれしかったけど、失敗したあとは地獄。

でも、そのときの患者仲間のことは忘れません。

 

みんな元気でやってるといいなあ。

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東京に越してきてから一年が経ちました。

自殺未遂をして、医療保護入院を経て退院したあの時期から一年です。

あの頃はフラッシュバックがひどく、お金や将来が不安で仕方なくて地獄でした。ベッドから起き上がれないことに焦り、昼間部屋にいることに罪悪感でいっぱいでした。

 

今は、平日はだいたい昼から夜までフリーターとしてですが働いていて職場の環境もよく仕事が楽しいです。

フラッシュバックがなくなったわけではありませんがあの頃よりマシになりました。悪夢はたくさん見ますけど。

外出ができるようになってたくさん楽しいと思えることができました。友達とも遊んでいます。

 

両親とは今までで一番いい関係だと思います。私が甘えすぎているところがかなり心配ですが。そこから罪悪感で動けなくなることがたくさんあります。

 

今は、罪悪感でいっぱいです。

去年と同じ景色が苦しいです。

蝉の音がつらいです。

 

ゆうこさん

ゆうこさんは気を遣いすぎる人だ。
何を口にするにもまず相手のことを考える。傷つかないか、嫌な思いをさせないか、させたらどうしよう、ああどうしよう。

会話の最初にまず「嫌な思いをさせたらごめんね、」と言って話し始める。内容はごく普通のことだった。そんなのみんな平気だよと何十回も思ったし、そう言った。その度にありがとう、と言うから複雑な気持ちになった。
褒め言葉の始めにも言う。「もし違ったらごめんね、」褒めてくれるんだから嬉しいのに。とくにゆうこさんは本当に、感心したように言ってくれる。たぶん感心してくれてる。嘘じゃないし、気遣いから出た言葉じゃない。なにしろ本当に優しい人だから、本当に私のことをスゴイと思って褒めてくれるのがよくわかる。私も嬉しい。
ゆうこさんから話しかけてくれるときはなおさら嬉しかった。

そんな人だから、疲れている。当たり前だよ、気を遣いすぎてる!そんなに気にしなくてもいいのに、ゆうこさんは優しいのに、嫌う人なんていないのに。

ホールに人が少ないとき、トボトボと出てくることはあったけどほとんど時間自分の病室にいた。人といたら疲れるから。薬で起きられないのもあるだろう。その辛さは私たち、痛いほどよくわかっているから、誰も無理に引き止めないし、好きなときに好きなだけ、好きに過ごしたらいいというスタンスを誰もが持っていた。誰に対しても同じだ。今ここにいる人間はみんなが辛い、そしてそれを外でわかってもらうのは難しいことも十分承知している。
だからこそ、ここではとみんな思ってるに違いない。そういう付き合いは遠慮なく、言い出せる仲だった。

私はホールで本を読むことが多かった。だってこの前まで一人で窓もない部屋に閉じ込められていたんだもん、広くて明るい部屋で椅子に座れることに浮かれ気味だ。

ゆうこさんがトボトボと歩いてくると私は必ずゆうこさん!と声をかけた。ゆうこさんは笑顔で名前を呼んでくれる日もあったし、ちょっと元気なさそうにしていることもあった。
私はゆうこさんが元気なさそうにしているとき必ず話を聞くようにしていた。彼女は自分から話を聞いてほしいと言えないような人だから私から声をかけることが大事だと思う。彼女が考え事をして困っているとき、ちゃんと声をかけてあげられればその中身を話してくれた。

内容はいろいろ、でもだいたいは自分を責めていた。何か考えても、その考えに辿り着いてしまった自分を責めている。「あの人のことをうらやましいと思ってしまった、でもそんな卑しい考えをしてしまって自分が許せない」とか「さっき誰々にあんなこと言ってしまったけど、嫌な思いをさせていないだろうか。どうして私はあんなこと言ってしまったんだろう。」とか。「なにもできないのが悔しい」とか。

彼女は泣く。私なんかと言って泣くし、許せないと思って泣く。本当に優しいだけでこんなに泣くんだと思った。ゆうこさんは優しいだけでこんなに疲れているし、ベッドから起きられない。真面目で気遣いができて最高な人なのに躁鬱病にかかって、社会では理解されない。悔しい。

ここの人はみんなそう、優しくて疲れてる。私は優しくないし、人なんか嫌いだと思ってたのにここにいる間に無邪気に人に話しかけるようになった。退院したらまた元に戻ったけど、一緒に入院していた人の前ではまた子供に戻るように警戒心もないし楽しいと思って接している。

病気にかからないことが強さと言うのは違和感を感じるけど、もし強さだとしたら優しさともち合わせることができないのかな。
入院中みんな私に優しかったのに苦しんでいて、不公平だと思う。

四人掛けテーブルと支援制度について

ゆうこさんという女性がいた。 
彼女は40歳ほどのおだやかな女性で、一目見て優しいとわかる人だった。ショートカットの髪と、低めの身長だったので、なおさらそう見えた。
その隣に座っているのが、さなえちゃんだ。身長は私と同じくらい、32歳、167センチほどで肌は白く、眼鏡をかけている。猫背が印象的で、こちらは少し気が強そうだった。

私が開放ホールで夕食を摂ることを許されて2日目に、こちらから声をかけて一緒のテーブルで食事させてもらうことになった。四人掛けのテーブルに、ゆうこさんとさなえちゃん、もう一人のぞみちゃんという大柄の女性と四人で座った。みんな病気だ。

ここでの食事はそれぞれの病気や、身体に合わせて少しずつ違うが基本は和食で薄味の、健康的な食事だ。病院なので、健康的なのは当たり前だな。
ホールには一つ、壁掛けのテレビがあってどのテーブルからも見えるようになっている。チャンネルは希望があれば、みんなにことわって見ることができるが大してそんなこともなかった。17:45から食事は、ニュースが流れるのが常だった。

私はこの食事の時間が好きだった。
隔離部屋にいたときは、テーブルもないので床にお盆を置いて食べていた。もちろん一人だ。一言も喋らなかった。「自殺に失敗して閉じ込められ、今は床で食事を摂っている」ということが、本当に惨めで恥ずかしかった。ずうっと泣いていた。

今はテーブルにお盆を置いて、椅子に座って食べられる。テレビもあるし、私以外に人がいる。すごく嬉しいことだった。そんなだったので、人と会話すること自体とても有り難く思った。

ゆうこさんとさなえちゃんは躁鬱病だった。
二人は以前の入院中に仲良くなり、今回も偶然一緒になったらしい。年の差は気にせず、ゆうこちゃんさなえちゃんと呼び合っていた。私のこともちゃん付けで呼んでくれて、タメ口で構わないと言ってくれた。

のぞみちゃんは鬱病が悪化したため、今回は休憩ということで二週間を目処に入院中らしい。OD癖があり、今回の入院で四度目だと聞いた。
コテコテの名古屋弁が印象的で、よく喋る人だ。主に家族や自分のことを話題にする。
人見知りはしなさそうだけど、本人は人見知りだと言っていた。

四人の中ではのぞみちゃんがよく喋った。そこにさなえちゃんが返事をしたり、ゆうこさんや私が相槌を打つリズムができた。

そして三人は支援や手帳などの仕組みを詳しく教えてくれた。障害者手帳のことや、ハローワークの障害者枠について、自立支援医療。私は正式には病気ではない(境界性人格障害+気分変調症)にしても薬を飲み始めて三年目、何も知らなかったし教えてくれる人もいなかったためすごく勉強になったし、もっと多くの人が知るべきシステムだと思った。それらを教えてくれなかった医者やカウンセラーたちに疑問を持つほどだ。ありがたかった。そこで初めて知ったからだ。

「入院でもしなきゃなかなか知る機会がないよね」と言って、自分たちのことを教えてくれた三人には感謝している。
もしあなたが今、薬を飲んでいたり、病院にかかっていたりしたらなにか支援に該当するものがあるかもしれないので調べてみてほしい。自立支援は医療費負担を軽くしてくれるかもしれないし、障害者手帳を持つことで助かることがあるかもしれない。
就職が不安な時は、ハローワークに行って障害者枠について話を聞いてみるだけでも勉強になるかもしれないし。

私は今特別な支援は受けていないし、障害者手帳も持ってない。でも、多くの人を助けるシステムだということは知っているし、いつかお世話になるかもしれない。

退院するまでこの三人にはなにかとお世話になった、本当にたくさんお話を聞いたし聞いてくれた。開放病棟に移るときは泣いてくれたし、今でも心の支えだ。ありがとう。

この三人のことはもっと書きたい。
今回は支援もあるよと知った話。

ヤマウチのおばちゃん

ヤマウチのおばちゃんという人がいる。

朝はホールで何かを宣言し続ける変わった人だが、とてもいい人だ。患者も皆おばちゃんが好きだった。

よく院内のコンビニでペットボトルをたくさん買ってくる。ペンギンのようにヒョコヒョコ歩く姿がとてもかわいらしい。ネックレスをしている。右手と左手にそれぞれ、アメリカ時間と日本時間の表示された腕時計をしていた。昔は旦那さんと一緒にアメリカに行ったといつも愛しそうな顔をして話してくれる。

おばちゃんはたまに私の机にやってきては、亡くなった旦那さんの思い出話をしてくれた。二つ前の旦那との家族は離散した事、その後亡くなった旦那さんに出会い世界が変わった事。彼はいつも紳士で、頭が良く、器用な人だった。いきなりアメリカに行くぞなんて言って実際に仕事を始めたり、休みの日にはお手製のネックレスやキーホルダーを作ってくれたと言っていた。そのキーホルダーも、実際に見せてくれた。イルカの形をしている。

その旦那さんが亡くなって、私はここに入ったと少し寂しそうな顔で言う。
そうすると必ず私は、「みんなおばちゃんの事が大好きだよ。元気だしてね。」と応えていた。
おばちゃんは、そう?と言って照れた顔をするけれど私は本当にその顔をかわいいと思う。

私はヤマウチのおばちゃんの事が大好きだ。
自殺未遂で閉鎖病棟に入った私に、いつもいつも「あんたはまだ若い。いくらでもやり直しができる。」と言ってくれる。「かわいいんだからすぐ次ができる。でも、必ず、穏やかな人にしなさい。一緒にいて落ち着ける人と一緒になりなさい。」「あんたみたいな明るい子は人に好かれる。」たくさんのことを何度も教えてくれる。飽きずに、私の目を見てくれる。何度も何度も言い聞かせてくれるので、最初は嘘だろうなんて思ってヘラヘラしていた私もだんだんと、そうかもしれない、と思うようになった。

おばちゃんはよく歌を歌う。特に旦那さんと一緒に歌った曲が多いらしい。私にはわからない昭和の歌もたくさんあったが、きゃりーぱみゅぱみゅも歌うので面白い。おばちゃんはこういうところがまたかわいい。

「辛いことがあったらね、歌いなさい。」
よくおばちゃんが言う。言った後に必ず歌い出す。
体を揺らして両手で指揮をとって笑顔で歌い出す。

隣の机にいる人も、また歌ってるね、と言って笑っている。すごいね、おばちゃんのこと皆大好きなんだね。

私も大好きだな。