厭世日記

不思議だったあの、精神科閉鎖病棟についてなんちゃって

ゆうこさん

ゆうこさんは気を遣いすぎる人だ。
何を口にするにもまず相手のことを考える。傷つかないか、嫌な思いをさせないか、させたらどうしよう、ああどうしよう。

会話の最初にまず「嫌な思いをさせたらごめんね、」と言って話し始める。内容はごく普通のことだった。そんなのみんな平気だよと何十回も思ったし、そう言った。その度にありがとう、と言うから複雑な気持ちになった。
褒め言葉の始めにも言う。「もし違ったらごめんね、」褒めてくれるんだから嬉しいのに。とくにゆうこさんは本当に、感心したように言ってくれる。たぶん感心してくれてる。嘘じゃないし、気遣いから出た言葉じゃない。なにしろ本当に優しい人だから、本当に私のことをスゴイと思って褒めてくれるのがよくわかる。私も嬉しい。
ゆうこさんから話しかけてくれるときはなおさら嬉しかった。

そんな人だから、疲れている。当たり前だよ、気を遣いすぎてる!そんなに気にしなくてもいいのに、ゆうこさんは優しいのに、嫌う人なんていないのに。

ホールに人が少ないとき、トボトボと出てくることはあったけどほとんど時間自分の病室にいた。人といたら疲れるから。薬で起きられないのもあるだろう。その辛さは私たち、痛いほどよくわかっているから、誰も無理に引き止めないし、好きなときに好きなだけ、好きに過ごしたらいいというスタンスを誰もが持っていた。誰に対しても同じだ。今ここにいる人間はみんなが辛い、そしてそれを外でわかってもらうのは難しいことも十分承知している。
だからこそ、ここではとみんな思ってるに違いない。そういう付き合いは遠慮なく、言い出せる仲だった。

私はホールで本を読むことが多かった。だってこの前まで一人で窓もない部屋に閉じ込められていたんだもん、広くて明るい部屋で椅子に座れることに浮かれ気味だ。

ゆうこさんがトボトボと歩いてくると私は必ずゆうこさん!と声をかけた。ゆうこさんは笑顔で名前を呼んでくれる日もあったし、ちょっと元気なさそうにしていることもあった。
私はゆうこさんが元気なさそうにしているとき必ず話を聞くようにしていた。彼女は自分から話を聞いてほしいと言えないような人だから私から声をかけることが大事だと思う。彼女が考え事をして困っているとき、ちゃんと声をかけてあげられればその中身を話してくれた。

内容はいろいろ、でもだいたいは自分を責めていた。何か考えても、その考えに辿り着いてしまった自分を責めている。「あの人のことをうらやましいと思ってしまった、でもそんな卑しい考えをしてしまって自分が許せない」とか「さっき誰々にあんなこと言ってしまったけど、嫌な思いをさせていないだろうか。どうして私はあんなこと言ってしまったんだろう。」とか。「なにもできないのが悔しい」とか。

彼女は泣く。私なんかと言って泣くし、許せないと思って泣く。本当に優しいだけでこんなに泣くんだと思った。ゆうこさんは優しいだけでこんなに疲れているし、ベッドから起きられない。真面目で気遣いができて最高な人なのに躁鬱病にかかって、社会では理解されない。悔しい。

ここの人はみんなそう、優しくて疲れてる。私は優しくないし、人なんか嫌いだと思ってたのにここにいる間に無邪気に人に話しかけるようになった。退院したらまた元に戻ったけど、一緒に入院していた人の前ではまた子供に戻るように警戒心もないし楽しいと思って接している。

病気にかからないことが強さと言うのは違和感を感じるけど、もし強さだとしたら優しさともち合わせることができないのかな。
入院中みんな私に優しかったのに苦しんでいて、不公平だと思う。