厭世日記

不思議だったあの、精神科閉鎖病棟についてなんちゃって

2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

一言目

最初に話しかけてくれたのはスミダくんだった。おそらく私より少しだけ若いだろう外見と、人の良さが滲む好青年だった。遠慮がちに、「あのう、今日入った方ですか?」と優しい口調で聞いてくれた。私はそれが、関係者以外との初めての会話だった。簡単な自…

開放ホールへの第一歩

次の日、私は閉鎖病棟開放ホールに出してもらうことができた。一言、「出たいです」というだけで出してもらえた。あれだけ苦しくて重い部屋から、一言頼めば出してもらえるようになったということだ。これは大きな進歩だった。看護師さんが鍵を開けてくれた…

担当医との面談

担当医は、その後しばらくしてから来た。あなたのお父さんと面談しておりました、遅くなって申し訳ない、と私に軽く頭を下げた。私はそのころになると涙も止まっており、ただぼうっと無表情で絶望しているのみだった。時間は把握できなかったが、夜であった…

父親との面会

まずは父親が面会に来た。両親とは当時縁を切っていたが、父親は会いに来てくれた。「調子はどうだ」と私を気遣った。私は「気が狂いそうだ」と応えた。その一言により堰を切ったように私は泣き出し、「ここから出してくれ」と訴えた。これ以上ここにいたら…

月曜日の朝

混乱し、後悔し、惨めさを噛み締めた日曜日がやっと終わった。月曜日が来たのだ。今日は担当医もやってくる、少しは話を聞いてもらえるし、時間に動きがある。父親も面会に来るらしい。私はそれだけで嬉しかった。昨日と同じく食事が床に置かれ、私はそれを…

次の日の昼と夜

時計を持っていなかった。いつもは、元彼氏にもらった腕時計をしていたが、その日はフラれたために外してから自殺に及んだのだ。そのため、隔離病室では現在どれだけの時間を過ごしたか把握できなかった。ぼうっという風の音がずっと聞こえていた。私は膝を…

次の日

朝6時に起床の放送が入った。6月14日の日曜日になっていた。起きて数分はぼうっとしていたが、やがて前日の事が滲むように思い出された。そうだ、私は自殺未遂をしてこの精神科の閉鎖病棟、隔離病室に入れられたのだ。敷いてあるマットを見て、改めて惨めな…

その日の夜

精神科の閉鎖病棟は、本当に辛かった。窓はなく、あらゆる角がなくされ、ベッドさえないただの部屋に布団代わりのマットが一組敷かれているだけだった。トイレのドアさえなく、空間続きで便器があり、流すためには看護師を呼ばなければならなかった。牢屋と…

その日

6/13 土曜日 13:30自殺未遂をした。14歳の頃から憧れていた自殺、その日は「一緒に生きようね」と約束していた彼氏にフラれた日だった。彼に「嫌いになった」と言われた瞬間、私が思ったことは、「これでやっと死ねる!」だった。その時期は今思い返してみる…