厭世日記

不思議だったあの、精神科閉鎖病棟についてなんちゃって

その日

6/13 土曜日 13:30

自殺未遂をした。

14歳の頃から憧れていた自殺、その日は「一緒に生きようね」と約束していた彼氏にフラれた日だった。彼に「嫌いになった」と言われた瞬間、私が思ったことは、「これでやっと死ねる!」だった。

その時期は今思い返してみるとかなり疲れていた。うつ病を患っている彼氏のために言葉の端々に気を使い、4月に被害に遭ったトラックとの接触事故のために毎日接骨院や病院に通い、当時休職中で、もともとうまくいっていなかったエンジニアとしての仕事を悪夢に見ながら毎日を泥の中で息をするような苦しさで過ごしていた。

もともと彼氏とはそろそろ別れるであろう雰囲気はあったけれど、当時の私には「これ以上なにかプラスされたら”何か”するであろう」との確信があった。そのため、必要以上に気を使い、彼との関係を延命していたのだ。

しかしあっけなくそのときは訪れ、「コーヒーを飲みたいと言った俺に、”カップがない”と返しただろう」との意味不明な理由によってフラれた。

えっ、なにそれ?と思ったが、彼氏の方は本気で失望していた。たぶん他にも理由はあるのだろうが、この理由も嘘ではないだろうなあと思う。そういう人だった。

そうして”なにかプラスされた”ため、私はウキウキで自殺を図った。もともとベランダには半年ほど前から結ばれた、輪っか付きのクレモナロープがかかっていた(この経緯は後に)。先端の輪っかを首にかけ、私はすぐにベランダから飛び降りた。怖気付くのが怖かったから、間髪入れずに飛び降りた。ベランダのヘリに結んであったためバキッという音がした。

苦しい!と思い、手が自然と首元の縄に伸びていた。その日はとても晴れていて、昼間ゆっくりとした時間が流れていたように思う。でもやっと死ねるのがこんな日でよかった。

しかし、突然「なにしてるの!」という声が響いた。下の階に住んでいた同じ会社の先輩だった。ベランダのバキッという音で首吊りしたのがバレたのだ。
先輩は何度も騒いだため、私は「うるさい!人が集まってきたらどうする!」と慌ててしまい、最終的に足が下の階のベランダについてしまった。失敗だ。

私は先輩に病院につれていかれ、会社から当時縁を切っていた両親を呼ばれ、その日のうちに精神科閉鎖病棟隔離病室に入れられた。

その日から私の精神科入院生活は始まった。

#自殺未遂 #厭世ガール