厭世日記

不思議だったあの、精神科閉鎖病棟についてなんちゃって

父親との面会

まずは父親が面会に来た。
両親とは当時縁を切っていたが、父親は会いに来てくれた。「調子はどうだ」と私を気遣った。
私は「気が狂いそうだ」と応えた。その一言により堰を切ったように私は泣き出し、「ここから出してくれ」と訴えた。
これ以上ここにいたら狂ってしまう、そしたらもうここからは出られない。怖い、助けてとほとんど泣き叫びながら助けを求めた。こんなことは人生で初めてだった。そんな私の様子を見て、父親も涙を流し始めた。私は父親の涙を見るのは初めてだったが、心を動かされたような気はしなかった。多少、ざまあみろ!という気持ちがあったからだ。


私をほっといたのは誰だ。小さい頃、宗教に勤しむ母親に私をあてがっておいて、見ぬふりをしたのは誰だ。そのせいで私は24になって自殺未遂などしたのだ。


だから、お前のせいでもあるのだ。
しかし、ここで私は初めて父親に言った。小さい頃母親のカルト宗教のめりに巻き込まれても決して言わなかった、「助けて」を、ここで、泣きながらこぼした。
助けてほしい、なにをおいても私の気持ちを優先してほしい、今回、今日このお願いだけは聞いてほしい、と。


父親は揺れていた。
自殺未遂した娘を一人にしておくわけにはいかない、医者もよいと言うはずがない。しかしこれまで助けを求めなかった娘が、自分が傷つけた娘が泣いて懇願している。しかし、やはり。


2時間近く泣いて訴えたが、とうとうその日は帰れなかった。
私は絶望した。ここでも助けてもらえなかったと。そして、もう父親に懇願するなんてことはやめよう、助けてもらえるなんて期待も持つだけ恥だったのだ、と悟った。面会が終わり、担当医が帰せませんと一言言った途端冷静になった。


そうだ、昔からこうだった。助けて欲しくても、助けてはもらえなかったのだ。
私は思い出していた。


#自殺未遂 #厭世ガール