厭世日記

不思議だったあの、精神科閉鎖病棟についてなんちゃって

ホールの日常と、友達

開放ホールは平和だった。皆ゆっくりそれぞれの時間を過ごし、それぞれの問題と向き合っていた。

右の机には、和やかにおしゃべりをする拒食症の女性達。その向こうの机にはTVをぼうっと見つめる、点滴をつけた髭面の男性。透き通った色白の肌と長い黒髪が印象的な美少女、その側に声高に何かの宣言を続ける年配の女性。
そして、読書をする私。

少しずつ入れ替わりながら、毎日が過ぎていく。
私は人のいる場所に出られるだけで嬉しく、本を読めるなんて最高な気分だった。

ある日、いつものようにホールで本を読もうと病室から出ると声をかけられた。
太った大柄の女性と、拒食症であろう点滴をつけた小柄な女性が机についている。その対照的な姿を少しおかしく思った。
大柄な女性が、「座らない?」と誘ってくれた。

嬉しい!これまであまり人に関心を持たなかった反動か、隔離病室に入れられたトラウマを埋める為か、私はすっかり自分が”人嫌い”なんて自称していたことを忘れていた。話すの楽しいなあなんてどの口がと思う。

その大柄の女性はノゾミさんといい、34歳で、OD(=オーバードーズ/過剰服薬)常習、ここへは今回休養の為に入院したという。
小柄な女性は、アヤさん。やはり拒食症で入院しており、経管での食事だという。
私は、自分の他にもメンタルヘルスを理由に入院する、そんな人生があることに改めて衝撃を受けた。これまでも友達や、恋人が精神的理由で苦労しているのは知っていたが、お互い深刻なシーンは気遣いあって見せないようにしてきた。それは私も同じ事だ。いくら友達や妹が私の状態を知っていても、実際動けない場面や自傷で傷ついている場面を見せたことはない。

しかしここではそれもオープンだ。当然だ、ここは精神科の閉鎖病棟。無理に笑顔をつくる元気はない。隠す必要もない。
そして、そうして傷を見せていても誰も攻撃してこない。

私は教えてもらった分も、不公平にならないようノゾミさん、アヤさんに自分がここに入る事になった理由、自殺未遂の事を語った。
二人ともそれは大変だったね、と言ってくれ、今はどうかと心配もしてくれた。
私はその時、首吊り時についたロープでの火傷が首に残っていたためそれも見せた。

ノゾミさんは名古屋弁をまくしたてるように話す人だ。どこか少女のような印象を残す人で、会話も好きだろうという事も伝わってくる。主に話すのは彼女だった。
アヤさんは身体もうまくついていかないだろう、ゆっくり話を聞く人だ。目をみるとにっこり笑ってくれる愛嬌ある人で、髪がサラサラしていた。

そこから私たちは、しばらく話をした。
私は首の火傷跡を触りながら話を聞いていた。楽しかった。

おや、もうすぐ夕食の時間だ。
今日はなかなかいい日だったんじゃないだろうか。

一言目

最初に話しかけてくれたのはスミダくんだった。
おそらく私より少しだけ若いだろう外見と、人の良さが滲む好青年だった。
遠慮がちに、「あのう、今日入った方ですか?」と優しい口調で聞いてくれた。私はそれが、関係者以外との初めての会話だった。

簡単な自己紹介をして、「よろしくお願いします」と言った後彼は部屋に戻っていった。久々の会話で、短時間でもかなりの感動を覚えた。私、人と喋った!相手に気にしてもらった、人としての扱いを受けた!少し、自分の尊厳を取り戻した気がする。
昨日までの陰鬱で重く、少ない空気の中から選んで吸うような息苦しさからはすでに開放されていた。

次に声をかけてくれたのはジャージをきたオジサンだった。色黒の彼は椅子に腰掛けて足を組んでいた。新入りの私に向かって「よお、ここはいい奴しかいねえから、安心しな。」と言った。
みんな私を遠巻きに見ているのがわかるが、たしかにそれは排除や不安からの視線ではなかった。
すぐにわかるくらい、その視線には「気遣い」があった。

「話しかけても大丈夫かな?あの子が嫌な思いをすることはないかな?」「どういう子なのかな?なにで入ってきたのかな?」

開放ホールの雰囲気は優しかった。
お互いを傷つけ合うことはないだろう、なにか嫌な思いをすることもないだろうとその時ふわりと思ったのを覚えている。
みんな同じだ、そう思った。

開放ホールへの第一歩

次の日、私は閉鎖病棟開放ホールに出してもらうことができた。一言、「出たいです」というだけで出してもらえた。
あれだけ苦しくて重い部屋から、一言頼めば出してもらえるようになったということだ。これは大きな進歩だった。

看護師さんが鍵を開けてくれた。私はやっと大きな一歩を踏み出した。
開放ホールは広かった。正面に一つだけ本棚があり、本やマンガが少しだけ置かれていた。左手にはテレビがあり、なにかドラマが映されていたように思う。椅子が四つずつ配置された机が七セットあった。そこにまばらに人が座っており、興味深々で私を見つめていた。
なにより嬉しかったのは、風の音がしなかったことだ。ぼうぼうと聞こえていた風の音が、このホールではしなかった。

私はうきうきと本棚に向かい、マツコ・デラックス著「デラックスじゃない」を手に取った。嬉しかった。
明るい場所で、椅子に座って、本が読めることがとても嬉しかった。みんなが私をちらちら見ているが、それだって隣に人がいるということだ。
私は今、人の扱いを受けているのだ。
嬉しかった。

本当に、助かったと思った。

#自殺未遂 #厭世ガール

担当医との面談

担当医は、その後しばらくしてから来た。
あなたのお父さんと面談しておりました、遅くなって申し訳ない、と私に軽く頭を下げた。
私はそのころになると涙も止まっており、ただぼうっと無表情で絶望しているのみだった。
時間は把握できなかったが、夜であったことを覚えている。

調子はどうですか?担当医は優しい口調で訪ねてくれた。後に渡っても常に優しく、患者である私のことを真剣に考えてくれる大変よい先生だ。今、私はこの先生のことをとても信頼している。

担当医は言った。「この二日間、寝る、食べる、ゆっくりする。その3つができていると判断したため、ホールへ出ることを許可します。」
これを聞いた時の私の顔は笑えるくらいのものだったと思う。それほどには衝撃だった。外に出られる、テレビのある部屋へ行ける。朝9時から夕方5時までという制限付きだったが、それでもかなりありがたかった。これで膝を抱えて1日過ごさなくてよいのだ。風の音以外が私の耳に入り、壁の模様以外が私の目に入るのだ。
うれしい。

明日からは少し変わる。しかしその少しは私にとって全てほどの価値があった。
変化のまったくない部屋で混乱と後悔と惨めさをたくさん噛み締めた。なにを考えてもそこにいきついて苦しかった、しかしそれ以外に許されたものはなかったのだ。
それに、そのことは当然だった。私は自殺未遂した畜生なのだ、畜生に外界の情報は与えられるはずはなかった。

しかし明日からは話ができる。
ホールにはテレビがあり、本があり、人がいる。

私は嬉しかった。
心の底から、「助かった」と、そう思った。

#自殺未遂 #厭世ガール

父親との面会

まずは父親が面会に来た。
両親とは当時縁を切っていたが、父親は会いに来てくれた。「調子はどうだ」と私を気遣った。
私は「気が狂いそうだ」と応えた。その一言により堰を切ったように私は泣き出し、「ここから出してくれ」と訴えた。
これ以上ここにいたら狂ってしまう、そしたらもうここからは出られない。怖い、助けてとほとんど泣き叫びながら助けを求めた。こんなことは人生で初めてだった。そんな私の様子を見て、父親も涙を流し始めた。私は父親の涙を見るのは初めてだったが、心を動かされたような気はしなかった。多少、ざまあみろ!という気持ちがあったからだ。


私をほっといたのは誰だ。小さい頃、宗教に勤しむ母親に私をあてがっておいて、見ぬふりをしたのは誰だ。そのせいで私は24になって自殺未遂などしたのだ。


だから、お前のせいでもあるのだ。
しかし、ここで私は初めて父親に言った。小さい頃母親のカルト宗教のめりに巻き込まれても決して言わなかった、「助けて」を、ここで、泣きながらこぼした。
助けてほしい、なにをおいても私の気持ちを優先してほしい、今回、今日このお願いだけは聞いてほしい、と。


父親は揺れていた。
自殺未遂した娘を一人にしておくわけにはいかない、医者もよいと言うはずがない。しかしこれまで助けを求めなかった娘が、自分が傷つけた娘が泣いて懇願している。しかし、やはり。


2時間近く泣いて訴えたが、とうとうその日は帰れなかった。
私は絶望した。ここでも助けてもらえなかったと。そして、もう父親に懇願するなんてことはやめよう、助けてもらえるなんて期待も持つだけ恥だったのだ、と悟った。面会が終わり、担当医が帰せませんと一言言った途端冷静になった。


そうだ、昔からこうだった。助けて欲しくても、助けてはもらえなかったのだ。
私は思い出していた。


#自殺未遂 #厭世ガール

月曜日の朝

混乱し、後悔し、惨めさを噛み締めた日曜日がやっと終わった。

月曜日が来たのだ。今日は担当医もやってくる、少しは話を聞いてもらえるし、時間に動きがある。父親も面会に来るらしい。
私はそれだけで嬉しかった。

昨日と同じく食事が床に置かれ、私はそれを食べた。担当医はいつ来るのだろう。父親は着替えを持ってきてくれるだろうか。今何時なのかはわからないが、昨日このなにもない隔離病室で散々考え、苦しんだ分少しでも時間に変化があり気晴らしや励ましがあるとすれば、それは例えるなら息継ぎのような、そんな時間だと思った。

そのような考えと同時に、これは罰なのだとも悟った。生きることに反した私へのわかりやすい罰。畜生でもちゃんと悟れる身にしみる罰だった。
後に閉鎖病棟解放病室のホールで友達になる数々の人たちも、隔離病室へ入った人は同じようなことを言っていた。彼女たちも(入った原因はそれぞれ違えど)、閉じ込められ、マットに寝かされながら同じことを考えたのだ。

助けて欲しかった。しかしこれは自分が招いたことでもあった。
罰を受けながらまた泣いた。

#自殺未遂 #厭世ガール

次の日の昼と夜

時計を持っていなかった。
いつもは、元彼氏にもらった腕時計をしていたが、その日はフラれたために外してから自殺に及んだのだ。そのため、隔離病室では現在どれだけの時間を過ごしたか把握できなかった。

ぼうっという風の音がずっと聞こえていた。私は膝を抱えながら隅っこに座って考えていた。これからどうしよう?会社はやめることになった。これから先はどんな人生になってしまうのだろう。ああ、なんで失敗なんてしてしまったのだ、ちゃんと死ねばよかった!土曜日の昼にマンションで首吊りなんてすればたしかに見つかるじゃないか、私の馬鹿!皆はどう思っただろう。私は先輩に病院に連れられる最中、パニックになり幾つかの人に自殺未遂の旨を連絡していた。本当に愚かの極みである。

混乱し、後悔し、惨めな気持ちでいっぱいになり、そのうち泣き始めた。なにを考えても行き着く先は自分の愚かさだった。
自殺なんてしなきゃよかった。そしたら今頃はいつも通り柔らかいベッドに横になりながら薬を飲み、座って食事もできたのだ。トイレだって好きに行けたし、気晴らしに散歩も行けた。水も好きに飲めた。友達に連絡もできたのだ。

それが自分のせいで一切出来なくなった。
私は一瞬で、人から畜生へと降りたのだ。

ただただ泣くばかりで人は来ない。
膝を抱える以外にない。
今何時かもわからず、いつ明日が来るのが検討もつかない。

狂ってしまうと思った。
ここにいることで、狂ってしまう。そしてここから出られなくなる。物凄い恐怖が襲ってきた。

私は、ここから出られないのか。

#自殺未遂 #厭世ガール